知っている物語や知識は小学校の国語で得たという人もいるのではないでしょうか。また音読が宿題にあったこともあるでしょうか、教科書に載っていたフレーズが頭の中に残っている人もいるかもしれません。今回は小学生時代の国語の教科書について尋ねてみました。
過去に小学校の低学年頃の教科書に掲載されていた作品について印象に残っているものを尋ねてみました。もっとも多かったのはロシア民話の「おおきなかぶ」です。1年生の多くの教科書に掲載されているようです。「うんとこしょ、どっこいしょ」といいながらおじいさん、おばあさんや孫、犬、ねこ、ねずみに至るまで協力しておおきなかぶを抜くお話は挿絵とともに印象に残っている人も多いかもしれません。劇にすることも多い作品でもあり、多くの票を集めました。
次に多かったのは「スーホの白い馬」です。中国内モンゴルの民話で馬頭琴に由来するお話です。スーホという貧しい羊飼いが殿様主催の競馬大会に拾って助けた白い馬と出場して優勝したにも関わらず、殿様に馬を取られてしまいました。その馬が命からがら逃げ帰りますが、殿様の家来たちに放たれた矢によって亡くなってしまいます。スーホは悲しみのあまり眠れない日が続きましたがやっと眠り込んだとき、馬は夢枕に立ち、自分の骨や皮、毛を使って楽器を作っていつまでもそばに置いてほしいと言います。スーホはその楽器(馬頭琴)をいつも持ち歩き、白い馬を思い出しながら演奏すると美しい音を奏でたという話でした。馬頭琴という楽器をこの作品で知った人も多かったのではないでしょうか。小学校の低学年でこのような悲しい話を教科書で勉強したのですね。
そして「スーホの白い馬」とほぼ同数の票を集めたのが「スイミー」でした。小さな黒い魚スイミーが兄弟たちを大きなマグロに食べられてしまい孤独感に苛まれながらも、広い海の色々なものを知ります。そうしているうちに岩陰に外の世界を知らない小さな赤い魚の仲間たちを見つけ、大きな魚の危険がある中、熟考し、みんなが集まって大きな魚のように泳ぎ大きな魚を追い出した、という話です。仲間と力を合わせて大きなことを成し遂げることの大切さが書かれている作品でした。
次は3、4年生頃の教科書に掲載されていた作品です。もっとも多かったのは新美南吉作の「ごんぎつね」です。ごんぎつねは自分がいたずらをしたせいで村に住む兵十が亡くなる前の母親にうなぎを食べさせてあげられなかったのだろうと思い、そのお詫びに鰯屋の鰯をとって兵十の家に投げ入れたり、栗を拾っては家において来たりしていました。そうとは知らず不思議がっていた兵十ですが、ある日家にごんぎつねがこっそり入ってきたときに見つけ、火縄銃で撃ってしまいました。そのとき土間に栗が置いてあるのを見て全てを悟った兵十は火縄銃をばたりと落とした、というなんとも切ない物語です。半数を超える方が印象に残っていると答えました。
続いては「手ぶくろを買いに」です。子ぎつねが母親に言われて手袋を買いに行くのですが、間違って人間の手にしてもらったのとは違う方の狐の手を差し出してしまいます。しかし、お店の人はお金が本物だとわかるとそのまま手袋を渡します。母親に人間は恐いものだと教えられていた子ぎつねは「人間はちっとも恐くない」といいます。それを聞いて母親も「ほんとうに人間はいいものかしら。」とつぶやきます。「ごんぎつね」も「手ぶくろを買いに」も同じく新美南吉作のきつねのお話です。もしかしたら混同してしまっている方もいらっしゃるかもしれません。
「手ぶくろ買いに」に続いたのは夜に一人でトイレにも行けない臆病ものの豆太が、大好きなじさまのため冬の夜中に医者を呼びに遠い道のりを一人で走り、勇気のある子どもだけが見ることができるモチモチの木(とちの木が真夜中の月明りで星と雪で木が光っているように見える)を見ることができたという「モチモチの木」でした。滝平二郎作の切り絵のような挿絵を思い出す方も多いのではないでしょうか。また小学生の興味も手伝ってかトイレを「せっちん」というのが一時期流行ったことを思い出した人がいるかもしれません。
高学年の教科書の作品にはどのような印象が残っているのでしょうか。最も多かったのは宮沢賢治の「注文の多い料理店」でした。西洋かぶれした若い紳士二人が山に狩猟に出かけました。あまりの山のすごさに狩猟犬2匹も泡を吹いて亡くなってしまうようなところで、戻ろうにも方向が分からなくなり二人も途方に暮れます。そこで二人は「山猫軒」という西洋料理店を見つけます。美味しいものが食べられると思い込んでその店の要求にどんどん応えていった二人ですが、塩を体に揉みこむように言われて自分たちが料理される側になることに気づきます。扉の奥から2つの青い目に覗かれ、こちらを呼ぶ声まで聞こえます。逃げようとしても逃げられないところを亡くなったはずの、しかも亡くなった後には二人に金銭的価値が無かったと散々な言われ方をしていた狩猟犬2匹が助けてくれます。結局犬は吸い込まれ、家は消えてしまい二人は草の中に立っていました。しかしそのとき恐怖でくしゃくしゃになった顔は東京に帰っても戻らなかったということです。なんとも奇妙な話の中に人間の放漫さと宮沢賢治の自然観が書かれていたのかもしれません。教科書に掲載されている題材としては大きなインパクトがあったと思われます。
「注文の多い料理店」と同様に支持を集めたのは椋鳩十の「大造じいさんとガン」です。老狩人大造じいさんの昔話を元に物語が始まります。左右のつばさに一か所ずつ真っ白な毛をもっていたガンの頭領「残雪」と狩人としての大造じいさんとのやりとりの話です。人間にも劣らない頭の良さと仲間を守る気概をもつ「残雪」と正々堂々戦う大造じいさんの話にに胸が温かくなるのを感じた人も多かったのではないでしょうか。
ところでこれら教科書に掲載されている作品名を聞いてどのような感想を持つのでしょうか。小学生時代のこと、6割近くが「懐かしい」と答えています。次いで「ストーリーが思い出される」、「もう一度読んでみたいと思う」と続き、「教科書に載っている作品はいい作品だった」にも一定数の回答が集まりました。一方で「聞いたことはあるが内容が思い出せない」と答える方も少なくはなく、ストーリーを思い出すと同時に、思い出せない部分にモヤモヤする方もいらっしゃったかもしれません。
最後にもう少し範囲を広げで教科書全般について聞いてみました。教科書や掲載作品に対して持っている印象を聞いてみると「子供や同僚など世代の違う人にも共通の話題ができるのでよい」がもっとも多くなりました。世代によって、また使っていた教科書によって「習った」、「好きだった」、「それは載っていなかった」と話が盛り上がるのかもしれません。また小学校では時間をかけて一つの単元を扱います。頭に残っていることも多いのでしょう、「信用している」、「自分が習った作品は今も教科書に載っていてほしい」という意見が上位を占めました。「人生の大切なことを教えてくれた」、「後々役立った」と答える人も一定数いて小学校時代に習ったことは大切なのだと改めて思わされます。またそんな大事な教科書なので毎年積みあがっていく教科書の処分に困ることも多かったのか「教科書を処分するのに躊躇した、いつまで残せばよいか悩んだ」と答えた人も少なくありませんでした。
結局処分してしまった方も多いと思いますが、昔教科書で習ったものを大人になってから触れる機会が身近にあるといいのかもしれません。
調査概要
20~60代女性のインターネットユーザーから回答を得た。
サンプル数 | 100 |
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調査期間 | 調査期間:2016年11月25日~11月26日 |
調査方法・内容 | 小学生時代の教科書に関するイメージ(主に国語)について(1. 小学校(低学年頃)の国語の教科書に載っていた作品で印象に残っている作品について(「くじらぐも」/「おおきなかぶ」/「きいろいばけつ」/「チックとタック」/「たんぽぽのちえ」/「スーホの白い馬」/「スイミー」/「ふきのとう」/「みかんの木の寺」/「当てはまるものはない」、2.小学校(中学年頃)の国語の教科書に載っている作品で印象に残っている作品ついて「手ぶくろを買いに」/「ちいちゃんのかげおくり」/「モチモチの木」/「つり橋わたれ」/「みつばちのダンス」/「白いぼうし」/「一つの花」/「ごんぎつね」/「春のうた」/「当てはまるものはない」、3. 小学校(高学年頃)の国語の教科書に載っている作品で印象に残っている作品について「大造じいさんとガン」/「わらぐつの中の神様」/「注文の多い料理店」/「田中正造」/「やまなし」/「野ばら」/「赤い実はじけた」/「きつねの窓」/「最後の授業」/「当てはまるものはない」、4.小学校の国語の教科書に載っている作品名を聞いてどう思うかについて「懐かしい」/「ストーリーが思い出される」/「聞いたことはあるが内容が思い出せない」/「面白い、興味深い」/「小学校の授業や先生を思い出す」/「教科書に載っている作品はいい作品だった」/「もう一度読んでみたいと思う」/「(当時)面白くなかった、興味が持てなかった」/「当てはまるものはない」、5. 小学校の教科書や掲載作品に対してどのような印象・思い出を持っているかについて「信用している」/「後々役立った」/「人生の大切なことを教えてくれた」/「同じ年代では同じ教科書・作品を使うべきであると思う」/「自分が習った作品は今も教科書に載っていてほしい」/「子供や同僚など世代の違う人にも共通の話題ができるのでよい」/「教科書を処分するのに躊躇した、いつまで残せばよいか悩んだ」/「当てはまるものはない。」)より複数回答にて回答を得た。 |